ビックリ! \(◎o◎)/!
ヴィッテが7歳の時、ドイツの「ハンブルゲル・コレスポンデント」という新聞にこう報道されました。
当地に教育上驚くべき事件が起きた!という文句で始まり、
『その少年は決して老人を切って縮めたような少年ではなく、すこぶる健全かつ快活でしかも柔和無邪気である。
その上、こういう少年にありがちな自負心が少しもなく、まるで自分の才能を意識していないようである。
この少年はカールヴィッテといって、ロヒョウの牧師ヴィッテ博士の一人息子である。
精神においても身体においても、このように理想的に発達した少年の教育法はきわめて興味あるものである。』
これは、
1808年メルゼブルヒのある学校で、ヴィッテが授業の内容を見学に行った時、
その授業を行っている教師により試験されてしまった時のことを評した記事です。
その時、ヴィッテはギリシャ語・ラテン語・フランス語・数学などに関して満足な答えをし、
教師や生徒たちを大変驚かせたのでした。
しかし、ヴィッテの父は決して学力だけに偏った人間に育てようとしたわけでもありませんし、まして天才児を育てようとして教育したわけでもありません。
ヴィッテの父の言葉を借りますと、
『私は息子をただ円満な人に育て上げようと考えた。
だから、ありったけの知恵を絞って事情の許す限り彼を健全な、活動的な、
幸福な青年に育て上げようと努めた。』
ということなのです。
それなのに、このようになったのは、全く意外で、これは子供の能力の偉大さにあるといっています。
子供の能力は期に遅れず、その出口をつけてやれば、泉のように流れ出ると。
子供は自ら学んでいく (^_-)-☆
ソニーの元会長の故井深大さんも著書「胎児」の中で次のように述べておられます。
「大事なのは教育ではない。教育とは教え育てる意ですが、子供はむしろ学んでいくのです。
自分自身で学ぶという気持ちを起こさせる、それが導くということです。
そしてそのためには、お母さんやお父さんも自身がはっきりとした人生観を持って、
子供よりも一歩ずつ先へ自分というものを築いていかねばならない」と。
また、儒家の経典で、冠婚葬祭、官爵、身分、学問などの多岐に及ぶ
『礼』の根本精神についてまとめられた書物『礼記』(らいき)の中の言葉を引用して、
「導いて索せず」でいくのがよいと言っておられます。
これは、子供たちを一生懸命いい方向へ導くけれども、
子供に手綱をつけて、ああしなさい・こうしなさいと引っ張ることはしてはいけないという意味です。
さてさて、それではヴィッテの父は息子にどのような教育をしたのでしょうか。
いつから教育→

これは1本のトマトの木です。
普通のトマトは1株から30個前後の収穫なのですが、
このトマトは1万3000個のトマトの実がなっています。
本来持っている能力をうまく引き出してあげると、
トマトでさえ、こんなにも発育するのですね。
<天才児を育てた ヴィッテの教育>